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うるくクンジー研究会

首里・那覇の装い―王国時代から昭和初期まで―

■首里・那覇の装い―王国時代から昭和初期まで―  那覇市歴史博物館企画展

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連続講座「首里・那覇の装い」

■第4回「まぼろしの絣・小禄紺地」

■講師:川前和香子(工芸技術支援センタ前室長)

日時:2月27日(土)午後2時より

■場所:那覇市歴史博物館(パレットくもじ4階)

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■那覇の織物産地~泊と小禄~

1904年(明治37年)の「地租条例」の施行により王国時代以来、宮古・八重山、久米島といつた地域に課せられていた貢納制(こうのうせい)がなくなり、織物はすべて自由に販売できるようになった。それにともない、家内工業で絣の図案や糸の染めを男性が、機織(はたおり)は女性が担い、また、製作から販売までを行う織物工場ができるなど、次第に沖縄の織物は産業化されていくようになる。
小禄や泊地域は、明治から昭和初期にかけて織物業が盛んな地域であった。小禄地域では、主に輸出用として、藍染(あいぞめ)の木綿を使った紺絣(こんがすり)や紺縞(こんしま)といったいわゆる「小禄紺地(うるくくんじー)」が織られ、名声を博すようになる。また、泊地域も家内工業が盛んで、織物業者が集中していた。

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