南風

終戦65年「慰霊の日」

戦後65年「慰霊の日」6月23日、県内各地は平和を求める祈りが早朝から続いた。沖縄戦終焉の地で戦没した人々をまつる糸満市米須の沖縄最大の慰霊の塔「魂魄の塔」には早朝から多勢の遺族らが訪れ、手を合わせた。白髪の高齢者や子供連れの家族の姿も。こんもりと盛り上がった円形の塔の前には、花とお供え物で埋まっていた。

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△花で埋まった「魂魄の塔」6月23日午前11時5分

13-ireinohi-0623△魂魄の塔

慰霊の日 沖縄守備軍第32軍司令官・牛島満中将ら司令部幹部が自決し、沖縄戦の組織的戦闘が終結した日。洞窟陣地などに立てこもった兵士がその後も抵抗し、散発的な戦闘は続いた。米軍が沖縄作戦終了を宣言したのは7月2日、日本軍が公式に降伏文書に調印したのは9月7日だった。

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4-isigi-0623△沖縄全戦没者追悼式の準備が整った会場、午前6時55分

□仲井間県知事の平和宣言(要旨)
戦後、すべてが焼き尽くされ焦土と化した沖縄は、県民の不断の努力と国内外からの支援により目覚ましい発展を遂げてきました。
しかしながら、今なお県土には、収集されない遺骨や多くの不発弾が埋もれており、戦争の傷は癒えることがありません。沖縄にわは、依然として過重な基地負担の問題があり、県民は基地から派生する事件や事故に脅かされ、騒音被害に苦しんでいます。基地負担の軽減、そして普天間飛行場の危険性の除去を早急に実現することは、沖縄だけの問題ではなく、国民全体が等しく取り組むべき課題であると考えております。くしくも50年前のきょう、日米安全保障条約・日米地位協定が発効しました。この大きな節目の年を契機として、沖縄の過重な基地負担が、県民の目に見える形で軽減されることを願ってやみません。
沖縄には、万国津梁の精神で、多くの国々と交流を行い、平和を維持してきた歴史があります。私たち沖縄県民は「平和の礎(いしじ)」や「沖縄平和賞」に込めた理念をもって、世界平和の創造に貢献し、沖縄が引き続き、国際社会に対し恒久平和の発信拠点となるよう取り組んで参ります。      2010年6月23日 沖縄県知事 仲井間弘多

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15-ireinohi-0623△木陰で沖縄全戦没者追悼式を待つ沖縄県遺族連合会・日本遺族会の皆様

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