うるくクンジー研究会

うるくクンジ研究会「沖縄庶民の装い」展鑑賞会

■うるくクンジ研究会「沖縄庶民の装い―明冶・大正・昭和の衣の変遷―」 展 鑑賞勉強会

■ 講師:當銘正幸(沖縄の生活・工芸・美術品コネクター)  ■日時:2010年5月22日(土)午前10時~
■ 会場:浦添市美術館 沖縄庶民の装い―明冶・大正・昭和の衣の変遷― 展 会場

浦添市美術館で沖縄庶民の装い―明冶・大正・昭和の衣の変遷―展が行われている。初日の午前10時から、當銘正幸氏を講師に展示解説会が行われた。染織品を中心に、新しい試みとしって関係資料も展示なされていた。初めて見る、イタブは幅45㎝長さ60㎝くらいの2枚の硬そうな板でいったい何に使われたのか? 當銘さんの説明なさるまで、思い浮ばなかった、衣類のシワ伸ばしする板、現代でいうズボンプレス機である。戦前まで使われていたという。染織品は800点の中から200余点を選りすぐって展示してあり、これだけの物を一同に見る機会は少ない。物が多いため3段、4段に展示され、ちょっと遠い感をうけた。これから何日か通い続けないと!

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■當銘正幸氏の説明に熱心にメモを取る うるくクンジ研究会会員の皆さん

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kunzi--to■右手前イタブ(衣類のシワ伸ばしをする2枚の板 【現在のズボンプレス機】)と地機(いざり機)

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■ きもの蒐集に人生を賭けてしまった男---當銘正幸


沖縄が 本土に復帰して数年後、日本民藝館が収蔵する沖縄の染織展が那覇で開かれた。多くの人々を魅了した。“里帰り展”であったが、一人の男性の人生w3おも決定づけることになった。當銘正幸さん。農協勤めを全うしながら、休日をすべて布蒐集の旅にあてていた人は、沖縄の宝ともいうべき布の価値を再認識し、蒐集熱に拍車がかかった。周りからは「フリムン(はか者)」とよばれながら、給料も財産も余すことなく、注ぎ込んだ人生。

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■ フリムン一代‐‐‐‐きものの蒐集に人生を賭けてしまったおとこ、當銘正幸の話  ・季刊「銀花」2007冬第152号 より転載

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■沖縄の文化遺産 県外流出の危機

何気なく開いた月刊誌に 「戦後六十年の節目に当たり収集した沖縄の文化遺産を後世にのこす為、県内外の博物館・美術館・各種団体・企業等で購入予定計画があれば公開譲渡したい」との内容に報告者は釘付けとなった。譲渡品目として(染織600点、焼物500点、漆器100点)と膨大なものであった。国内で唯一壮絶なる地上戦が行われ多くの人命と貴重な文化遺産が消失した沖縄に残すべきであり、何是これ程のものを手放そうとしているのか?
「戦後の混乱期、内地に次々に流れる文化遺産を何としても守りたい一心で本島・離島の家々を陽が落ちるまで訪ね集めました30年、私財も含め私のすべてをかけた品々です。しかし一個人の管理では限界があり、万が一の事があった場合、祖先に対して申し訳が立ちませんのでこのたびの広告としました」 声詰まらせての提案者、琉球王朝時代から戦前戦後に至る一般市民の民芸品から祝女(のろ)の蔡具一式をはじめ、時代に翻弄され一度は途絶えたと言う幻の織物「花織」、国の重要無形文化財指定の紅型、久米島紬、宮古上布に加え、専門家においてさえも文化としてとらえる事がなかったのではとおもわれる「喪服」の数々は、時代における生死観をも垣間見る事が出来、それらの一枚一枚を含め染織の分野だけでも実に600点を数え、沖縄染織歴史博物館ができると言っても過言ではないと感じた。かつて沖縄返還三十周年を記念したサントリー美術館の「沖縄の染織展」に身を置き、分類されたおびただしい数の端切れが、解説パネルにより、織と染の全容をおぼろげながら知る事が出来たあの日を思い出したが、今ここに目にしている服装や染織品の数々は端切れではなく、時代に生きた人々の汗の臭いさえ残っている衣類であり、色あせる事のない女性の美に対するせつないまでの気持ちの糸が織りなした集大成群である。これらが流出したら‥‥関係者窓口の方々は、どれ位知っているのだろうか‥‥とふと単純な疑問が湧いた。同時に一個人として、これ程の文化遺産の所有者が知られていないはずはないと。ここ数年間、国外を含む県内外の美術館において沖縄の文物・歴史が多く扱われ、これに呼吸するかの様に芸能をはじめとするさまざまな催しが各地で行われ、かつてない大きな沖縄文化のうつりを感じる。こうした中、稲嶺元県知事が訪中に伴い、新県立博物館への琉球文物貸出し協力依頼が報じられたが、一方で、今さらに貴重な文化遺産が流出しょうとしている状況に言い表しようにない淋しさと、もどかしさを感じた。文化遺産は祖先より受け継いだ宝であり、「子々孫々」まで受け継がれるべきものであると思うのは私一人であろうか。沖縄の琉球大航海時代、交易によりさまざまな文化が巧みに融合した時代を含め、史実の多くを今に語りかけてくれるのは、一つ一つの文化遺産であり、沖縄の今を、そして将来の進むべき道をも無言の語り部として示唆している様に思えてならない。     琉球・沖縄の衣生活概観―遺品の実態調査からみえてきたこと― より転載


話題

だて~ん集みたあん コレクターIN南部⑧

daten-wadai■當銘正幸(豊見城)
■ 沖縄の染織物
■ 喪服に絣や花の美意識

■ 多彩な柄に濃淡の味わいが美しさのハーモニーを奏でる。豊見城市の染織物収集家・當銘正幸さん(60)が所有する琉球王朝時代末期から昭和初期にかけて制作された織物だ。
花織や芭蕉(ばしょう)布など各種六百点を所蔵。県内の産地を訪ね歩き、約三十年かけてコレクションを充実させた。沖縄ブームが起こる中、「織物文化」が本土へ流失していくのを見かねて始めた収集だった。
戦渦をくぐり抜けた貴重な品々のうち、今回紹介してくれたのは「ヤシラミ」「シルジー」と呼ばれる喪服類(約70点)。
「黒のみが主流の喪服文化の中で、絣(かすり)や花をあしらった美意識は世界に誇れるもの」 。士族や町人など階級、年齢によって異なるデザインの豊富さ。細やかな織りの技法も併せて、当時の人々の「生死観」を静かに伝えている。
「死の儀式に用いられたということで敬遠され、喪服はほとんど研究されてこなかった分野。一つの文化ととらえれば、現代の生活に活かす工夫もできるのではないだろうか」 (豊見城)       平成14年3月4日 沖縄タイムス より転載


■ 沖縄の民具  -手づくりの美-     1972年

■  編著:聖教新聞社沖縄支局     ■ 発行:新星図書

沖縄の民具は日本文化の原点   岡本太郎

沖縄の民具のすばらしさ。たとえばクナ笠、くる舟 、浜にさげて行く弁当箱アンツク、どれ一つにふれても、わたくしは身体が熱くなるほど感動する。その表情はどんな豪奢な芸術にも劣らない強烈さ。それは生活のギリギリのところから、凝縮された表現をうち出しているからだ。そうして、色、形ばかりでなく、全身を包むように、あの海の輝き、土地の匂いいが迫ってくる。民具は沖縄そのものだ。
これはまた日本文化の原点でもある。私はそれらにふれるとき、痛切なノスタルジアをおぼえる。もっとひろく、人間文化の根として、これらを眺めかえすべきだと思う。

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