琉球藷(いも)の会

“琉球藷の会”と共に

“琉球藷の会”と共に
imo-yukifusa-1016-01 福島駿介氏が琉大に赴任された早い時期に御会いし、二十数年の御つき合いをさせてもらっていることになります。
私も福島氏も酒を飲むのがすきで、私が少し年上とのことで、遠慮なしに酒を飲み歩き、それを福島氏は快く受けて付き合って頂いたのは有難かった。
お互いにゴルフ等、趣味の上でのライバル関係であり、建築の議論をしたのわあまり記憶に思い出せません。
私が住んでいる建物の下にある“我空我空”がお互いに多く会う酒場で、お互いの自慢話がよく出る。
ある日、その建物の屋上で栽培した、人の頭程の大きな藷の写真を見てもらい自慢していたら、話題が進み終りに、福島、赤嶺和雄両氏が“琉球藷の会”を設立しようと言い出した。藷(それは16世紀に中国から琉球に入り飢餓を救いそうして人口が増えた、)それから約100年後に薩摩に渡り全国に広がり日本の人口増やしたと云う実績がある。)に対して常に尊び、敬意を持つようにと話している私としては、仲間が増えることは、喜しいことで直ぐに承諾した。
福島氏の行動は早かった。すぐその場で私は創主に祭り上げられた、会の仕事は殆どしなくて良いとの条件は有難かった。
会長に福島先生が付き、副会長に赤嶺氏、次々と名前が出てきた。僅かな日数で20名程の名簿が出来上がり、会員集会では、福島氏による、“琉球藷の会”の会報、会則(藷を尊ぶことだけを主旨とした、最も柔らかい会則)赤嶺氏による琉球藷に関する資料が整った。
imo-yukifusa-1018-02福島氏作詞による“琉球藷の会”の歌詞ができた、いくつかの曲がついた。又、
東京支部長に法政大の武者英二先生、大阪支部長にハンシン建設社長である和栗良成氏、台湾支部まで出来る楽しい会に発展した。加えて福島氏は私の建築の個展「光と風の建築」東京展と沖縄展の火付け役の一人で、又最後まで世話してもらった。
この会は、琉球藷に対し敬意を持ち、尊ぶ事を末永く忘れずにいる事を目的としているので、現在すこし休眠状態にあるが。
福島先生が退職なさったので又時間が出来次第、目を覚まして、酒を飲める機会が増えることを楽しみにしています。
福島駿介教授の最終講義を拝聴させてもらい、資料に書かれた、職歴、学会、学外委員、講演活動、業績等、その膨大な数量だけでも敬服しました。
「琉球大学・沖縄と共に28年」の人生の 時間による移り変わりを感じさせる講義は最終講義に相応しい感銘を与える内容でした。又、建築に携わる若い彼らに、「建築の学問、凡そ全ての学問は、講義を多く聴くだけでは無く、その本人が学問を頑なに追求する密度によるものである」と赴任初期の講義の少ない時間割表と後期の密度の粉濃いそれを示して、優しく話されたのは、まさしく福島教授らしいと思えました。
これからの残りの人生では、時間を考慮に入れた人生の計画を、共に話し合いたいと思っています。
お体を自愛下さいと言うより、酒が飲めるように鍛えてください。ご苦労さまでした。

■国場幸房 株式会社 国建 取締役会長 【沖縄日誌・福島駿介】より転載に写真追加

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■「琉球藷の会」 △和栗氏 武者氏収穫藷上納式・

和栗氏関西領主 武者氏関東領主辞令式 創主より辞令藷が発布1999年

光と風の建築

国場幸房とその世界

■東京展 会期:2000年4月13日(木)~18日(火)
会場:パークタワーホール ギャラーリー・2
東京都新宿区西新宿3-7-1
■沖縄展 会期:2000年6月20日(火)~25日(日)
会場:那覇市民ギャラーリー・大ホール
沖縄県那覇市久茂地1-1-1

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