拝所

カガンジデークニ(鏡水大根)の碑

鏡水大根・レリーフ制作:西村貞雄(琉球大学教授)

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鏡水大根(カガンジデークニ)を制作するにあたって

碑を制作するにあたって、関係者(実行委員会)から碑を建立する趣旨について話をうかがった。字鏡水が2003年で100周年を迎え、その歴史の重みと育んできた生活空間、そこで培われた活力が、今日の繁栄をもたらしたことを後世に伝えることを祈念しての建立である。制作にあたっては、次のような内容のコンセプトをまとめていただいた。

「鏡水大根」制作・コンセプト
□ 字鏡水は旧小禄村12ヶ字の中で、一番若い字(2003年創立100周年)ではあるが、最も活力に富む字である。
□ その活力の一つが「鏡水大根」であり、負うところが大きい。
□ 「鏡水大根」は、もともと農地としては痩せ地で適さない“砂地”に、
堆肥(葉ガラ外)や水肥(人蓄糞)を長期間に亘って施    し、十分手間をかけて入念に土壌作りを行い、試行錯誤の末に完成させた作物であり、たいへんな労力と研鑽の賜物である。
□ 鏡水人は、夜が明けて日が暮れる
まで働く、いわゆる“一日作業”(ヒッチーバル)を行い、働きづくめで農作業に精を出した。その汗の集大成が「鏡水大根」として花咲いた。
□ 鏡水の唯一、字挙げての祭りとして“豊年祭・綱引き”が行われたが、綱打ちは農作業終了後の暗くなってから、又、祭り本番も農作業の支障にならないように夜間に行う等、本業を絶対的中心軸として常に忘れることなく、犠牲にすることがなかった。
□ 小禄間切口説の中で、字鏡水は次のように謳われている『大根豊作す鏡水や日々の励みん 絶ゆみなく行く末広く頼もしや』
□ これらのことが綯い交ぜになって、いわゆる“鏡水魂”が醸成された。

戦前まで耕され収穫のあった土地は現在、基地になつている。その現場を関係者と一緒に視察した。海に面した砂地を先人達は大根畑にした。そのような状景を念頭におき、新垣氏からいただいたコンセプトを基にして、構想を練った。
収穫した大量の大根を前にして御婦人達が集う。大根を選別している人、腕を組んで眺めている男の人、赤ちゃんをおんぶした婦人やバーキ一杯に大根を盛って頭上に乗せ、右手には大きな大根を持つ婦人の姿など、「生活空間からの収穫の喜び」の場面を構成し、粘土で高さ90㎝、幅120㎝のレリーフ(浮き彫り)として制作した。「鏡水大根」の生産に実際に携わり戦前の状況を知る古老達には2回にわたり、実行委員の皆さんには数回見ていただき、形の確認をしたが、その都度細かい指摘をいただいた。例えば、海に面した大根畑は遠近感を出す意味で区割りして表したが、区画整理したような大根畑になっているという指摘をうけた。また、花が咲いた大根も入れて欲しい、手前の大根を大きくして、後方の大根は多すぎるので少なく整理して表すことなどの要望もあった。単なる状況描写ではなく、古老達の実感がこもっていた。それを顕著に示していたのは「大根の収穫は冬場であるので、着物の質感や海の荒れ具合を…」
であった。
この制作は、制作者の創作ではなく、あくまでも関係者の皆さんとの話合いを基本にしてまとめたものである。字鏡水の皆さんの「思い」がこのレリーフ(浮き彫り)にこめられている。いわば、その思いを結集した形である。勿論、表現上の技術的なことは制作する立場として万全を尽くした。粘土の原型もブロンズとして完成し、現地へ設置されている。
大根畑は現在基地になっているが、その中の設置場所の壁面に、厳しい条件の土地を改良し、大根を収穫した場面をレリーフにしたものを取付け、その上には、白い大理石に彫った大根を設置し、「鏡水大根」を象徴的に大きく存在させている。

img-105120416-0001□ 収穫の喜び  レリーフ 高さ90㎝、幅120㎝ 制作:西村貞雄


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□ 戦前の鏡水大根を知る大先輩達と建設委員の皆さん 西村貞雄アトリエにて

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□ 鏡水大根ものがたり img-105134615-0001
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□ 先人達のカガンジデークニ(鏡水大根)を今に伝える努力をしている新崎實氏20081030_22

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□ 新崎實氏のカガンジデークニ畑
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□ 来季への種子 2008年3月21日         新崎實大根畑
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□ カガンジデークニの花 2010・1・7 新崎實大根畑
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□ 鏡水農業改良組合会員が生産したカガンジデークニ(鏡水大根)の出来を競う共進会 鏡水公民館
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□ ダイコン(大根)  別名:スズシロ、オオネ  アブラナ科

ダイコンについて最古の記録は、今から2500年前、すなわち紀元前5世紀のギリシャの史家ヘロドトスの記録である。ピラミッド建設の記録のなかに、使役された奴隷たちにダイコンタマネギニンニクを支給した費用について書きのこされたものがあるという。
日本では日本書紀の仁徳天皇の歌に、「淤冨泥(オホネ)」というダイコンの古名がみられるので、古墳時代からすでにあったものだろうが、いつとは判然としない。また、その当時のものがどんなものなのかわからない。江戸時代の書物には、20種以上の品種が記録され、栽培法、加工法も詳しく述べられている。
ダイコンの仲間は「二十日大根」、「小大根」、「黒大根」、「華北大根」、「華南大根」、に大別され、日本で古くから栽培されたのは「華南大根」だとされる。「華南大根」、は多汁質で漬け物、煮物に適し、米食にはよく合うが、サラダには向いていない。
日本のダイコンは長い間の先入により、世界一大きいものから、まるいもの、細長いもの、辛いもの、甘いものと多数の品種がつくられた。鹿児島の「桜島大根」や名古屋の「守口大根」わはじめ、「三浦大根」、「青首大根」、「二十日大根」と私たちが口にしたものの数は多い。「原色日本野菜図鑑」には約100種の品種が記載されている。
「練馬大根」は五代将軍綱吉の時代にルーツがある。品川区の東海寺を開山した沢庵禅師の考案によって、たくあんとして加工されて有名になったが、度重なる病害虫の被害や近年の宅地化の進展、キャベツなど他にとって代わられ、現在は昔日の面影はない。
「三浦大根」はおでん、なますなどには最高である。お正月用として今でも根強い人気があるのだが、最近は西日本で栽培されていた「青首大根」に押されてしまつた。「青首大根」の人気は、「三浦大根」より甘くて辛くない、大きさも核家族に合うようにてごろであるといった理由のほかに、収穫するときに高齢者でもぬきやすいという。
金沢の大根ずし用の「源助大根」や京都の蒸し物用としての「聖護院大根」は地元の料亭、老舗に守られている。

日本の野菜のベストテンを消費量の順に挙げると、1位大根、2位キャベツ、3位タマネギ、4位白菜、5位ジャガイモ、6位キュウリ、7位トマト、8位サツマイモ、9位ニンジン、10位レタスなのだそうですが、この中で日本が原産地とされているものはひとつもない。 (たべもの植物記 能戸忠夫)

【桜島大根】〈さくらじまだいこん〉鹿児島県の桜島を中心に栽培される冬大根の系統で、薄く千枚切にして漬ける。

【青首大根】〈あおくびだいこん〉細い青味の多い大根。姿を整え、酒粕などに漬けて前菜、八寸また、椀種の青味として使う。     京都北部で作られる。

【風呂吹大根】(ふろふきだいこん)大根の代表的料理の一つ。大根は丸面取り、角面取り、かむろ菊(菊花芋、かむろ菊ともいう。四條流宗家八代石井治兵衛翁、明冶天皇にこの料理をおすすめしたところ、天皇が非常に感嘆されて、石井菊という名をつけられたものとのこと。)

【干葉】(ひば)大根の葉を陰干ししたもので、沢庵を漬ける時に樽の下敷きと上置に使った。ざっとユで油炒めし、薄揚げ等と一緒にいりこんで 醬油、酒、かくしに砂糖少々で煮上げると美味しい。

【カガンジデークニ】(鏡水大根) 戦前小禄村字鏡水(現在那覇空港・自衛隊基地)で栽培された大根、小禄は勿論のこと、沖縄を代表する産物、戦前昭和天皇が来沖されたときには、献上品とされたことがある。旧正月の頃がきめ細かく、甘みがあって最も美味しい。小禄間切口説「大根豊作す 鏡水や 日々ぬ励みん たゆみなく 行末広く たのもしや」と謳われている。

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□東町市場(戦前)鏡水大根を売っているようす。子供をおぶって品定めしている女性や、立ち話をしている人々の様子がうかがえる。

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