「沖縄の現空間が残っている」と、惚れ込んでここ数年通いつめている夫について、昨年の春初めて波照間を訪れ、今回再度、訪問してきた。思ったより大きいな島だ。この島の人々が伝統を守り、まつり事の風習をいかに大事にしているかは、部落ごとにある御嶽を見ても伺い知ることができた。どっしりと根を張った福木の防風林は石垣も家もみんな一緒に抱き込んでいるように力強い。それほだ観光化されていないためか、強い太陽の下で静寂を感ずる集落のたたずまいだった。“南波照間”の伝説がもの悲しく胸に響く旅だった。ようやく、島影が見え出した時、気分が楽になって心がせいた。前回は全く知らなかったのだが、今回は早くお目にかかりたい“人”がいたから……
その“人”は島のほば中央にある波照間農村集落センターの庭の隅に、ひつそりと立っておられた。見た瞬間全身がふるえ出すほどの感動を覚えた。花をかかえた女性と、その肩を抱く男性。お互いにほほを寄せ合って、空中に向けている顔の何とおだやかなことか! 見る人全て幸せを分かちあたえてくれるような姿だ。高すぎる台座も足元の小石も不安定で、かならずしも居心地がよいとは思えないが、そんな事は少しも気にしない風にほほ笑んでおられる。幼いころ、ふるさとのあちこちで見たおじぞうさ様や、道祖神とダブって思わぬところで郷愁におそわれたりしてしまった。 五十センチ足らずの像だが、この像がどうしてここにあるのか、いやある事さえ知らない島の人が多いようだ。まして鈴木政夫と言う作者の名前を知っている人は少ないだろう。「何気なく、人知れず」と者の意図するところだとも聞いたが……。
それにしても、この最南端の島に落ちつくまでにはいろいろな経路があったようだ。建築家で法政大学沖縄研究所の武者英二教授が、島の知人に身元引き受け人になつていただいたのだそうだ。つい最近聞いたはなしである。島について何年なるのか私は知らない、しかし安住の地を得たこの像に「どうぞ、いつまでもお幸せに」とつぶやいてみた。 赤嶺岩子(設計同人GAN)
■上空から望む波照間島
■ イナマ 石積みの壁に茅葺き屋根
■波照間島で一番古いといわれている、冨嘉集落から坂をくだると製糖工場、その先にまばゆいニシ浜、誰でも入りたくなる。
■波照間空港
ぱてぃろ~ま
■琉球列島最南端にある波照間島は、ニライカナイのうたが聞こえるような、旅人の心が洗われるような愛すべき島である。そのすばらしい風土と人情に心うたれて、いつまでも私はハテルマを忘れない。「ンゾーシーヌ、カヌジヤーマヨ」 朝大
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